From Lantis to Your True Story(14.09.14ランティス祭り東京2日目)

ドセンから見届けて来ました。なお84列目()
すぐ後ろの2連番が気さくな方々だったのでやりやすかった。

Lantis祭り全体としてもいろんなことがあったけどそれは各方面のレポに譲って…
今日の麻生夏子ハイライト:

◆前山田枠
○大阪と同じくカカカタ⇒じょーじょー
○衣装はこれも同じくスターリット…だがオレンジリボン追加。エウレカのリボンか
○カカカタ間奏の小ネタは「おーだいばっ!」のC&Rに変更
○前山田が歌詞を間違えまくってなつこまでつられる(クソイベヤデ!
◆麻生夏子枠
○もあもあ⇒MC⇒PAC
○MCでは半泣き
○夕方になったし自分含めUO焚かれていたけど少し空が明る過ぎた模様
◆アンコール全員挨拶~テーマソング
○再び半泣きMC
○直後の前山田が自分の挨拶をする前に「もう一度なっちゃんに拍手!」
○最後のJAMの番で奥井雅美が「なっちゃんと共演できてよかった」と言及

ということで大阪と同じく2+2曲で、もあもあ&PACが当選でした。
この計4曲、全力で対峙できたし、本当に楽しかった。ありがとうございました。
あ、やっぱりヒャダル子パートの音域はなつこには少し高いよ。カワイソス

MCの件は後述。日刊スポーツでも報じられたようですが。

おまけ:本日のフラグ集

◆橋本みゆき枠
○UN-DELAYEDが来たのでムーンライズのフラグが立つ
○しかしコラボも何も起こらずフラグ折れる
◆JAM枠
○ヴァンガードが来たのでダイスタのフラグが立つ
○ヴァンガ歌い終わって「次はコラボ」宣言が出て更にフラグが立つ
○結果:StylipSダンサーでGONG
○GONGのあとは素直にSKILLで〆、フラグ折れる

とくに後者、我儘すぎたあたしは発狂寸前でした。いや寸前じゃないか、キンブレと帽子を芝生に叩きつけたし
もうちょっとオトナになろうと思いました…


以下、MC含めて中途半端にマジメな考察系。
…あ、それと関連して:
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MCが日刊スポーツで取り上げられるという事態に少し動揺していますが…
やっぱり休止宣言の類は注目を集めるんですかね。宣言そのものは既出であっても、休止する場だと改めて評価されるのか。
twitterで驚きの声がRTで回ってくるのには驚き通り越して笑ったよね←×

で。MCの話。
なつこの《ノリのよさ》が、《女優業の演技力》と併せて、混乱を生じさせているように見えます。
何かってーと、「発言一言一句の本気度の解釈」という問題があるわけですよ。
具体的には、今日2回あったMCシーンの中で聞かれたもの:

「(麻生夏子の)曲はあんまり……とかでも(PACで)楽しんで!」
「もっとアニソン歌いたかったよ! アニソン最高ッ!!」
「もっとでっかくなって戻ってくるから!」(順不同)

これらと、4月公表の休止決意とを、どのように評価するか?

…はい。いわゆる史料批判ってやつです。まぁ本気でやろうとすればLantis側・スタダ側の史料とか本人のメール類まで必要になるからそんなことできないけど。
なるほど、決意が揺らいでいるように映ったり、あるいはギョーカイの外圧を暗示するように思えたり、そういう可能性のある状況ですね。しかも「最後の曲」であるPACで「皆で楽しんでほしい」というのが「最後の我儘」だと言い、実際にJAM枠でのフラグ崩壊があったわけで、これじゃあ来場者の中には「Lantisはちゃんと送り出してくれなかった、最後は屈辱的なセトリだ、これなら別れて正解だ」などと被害妄想半分な感想を持った人がいたとしても責められないだろう。

個人的見解としては、「多分に演劇的な行為であるが、《最後》という《その場の雰囲気》の範疇に過ぎないものであって、特別に計算されたリップ・サーヴィスではなく、かといってタレント業優先の意識が崩れたのでもない」のかな、と。
200人のなっちゅりーに相手と1万2千人のアニソンファン相手とで、かつ《決意》の場と《最後》の場とで、発言内容が変わる…というのは不思議でない。むしろ想定内。
ただ、女優魂の影響力の評価はやっぱり難しくて、一種の自己暗示的な「自分物語」(あんまりこの言葉は使いたくないけど)設定くらいはできるはずなので、「内容云々ではなく客観的状況として前者が後者より信憑性高いから…」程度の判断しかできません。
実際、なちゃーんの素直な部分を高く評価しようとすると、どうしてもLantisという会社のファクターばかりが見えてしまうことになるので、ねー…。
いずれにせよ、結果的にLantis批判派に対して燃料が投下される事態になったことは遺憾と言わざるを得ません。
「事実は小説より奇なり」? いや、それは…


…とかいう辺りがフィードバックされて、「芸能人麻生夏子は本心では何がしたくて、しかし現実問題としてできることは何で、実際には何をしようと思うのか」という3つに分類され得るところの、およそ芸能人に限らず人類一般に生じるであろう問題意識を、自身ではなく応援対象について考慮する動きが、ファンサイドの中に改めて生じているようです。
なぜならば、そのように考える人達は、応援の方法の中に近未来を繰り込もうとする傾向が強いから。
目標に向かってなされる努力として種々の活動を位置付ける見方ですね。すごく大事なことだと思います。応援される側とする側とで齟齬があるのは不幸なことだから。

当方としては人生は設計という行為の対象でないと考えているところがあって(結果として刹那主義に走っているのは否めない)、上のような思考法が強くないもんですから、今日終演後友人大勢と語らって色々な話を聴けて、学ぶところが大いにありました。
個人的には、寧ろ、「歌しかない」というような悲壮とは無縁であったが故に(「普通の女の子にはなれない」とか発言する辺り「芸能界しかない」とは思っていそうであるが)表現としての歌唱、ダンス、ステージングが相対化されたものだと考えていたから、傍から見たら目標とかのイメージがふわふわしているようであっても、当事者にとってはそうではない、あるいは実際にふわふわしていたとしても大問題ではない、現実に存在する仕事をこなす先に様々な可能性がまだまだ拡がり得るのだ、という認識の方が強かったな。
…あー、これ、「アニソンが全てではない」という感覚が前提として存在するが故の思考かもしれない。前々から言ってるように、決して歌手活動を軽視するつもりはないけれども、少なくとも現時点までの芸能人麻生夏子の活動だけとしても、歌手活動を相対化することは十分に可能だと思います。

どっちが正しいか、とかいう話ではないから、答えが出るものではない。
まずは「今何ができるのか」という問いを自身に適用するところから。それが終わらない旅立ちだと思うから。

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